〇日中とも女帝が国を危うくした
男尊女卑というのに、則天武后が皇帝になれたのがまず不思議だ。則天武后は大陸王朝で唯一の女帝で、ほかにはいない。後になぜ女帝が現れなかったのか。
それは則天武后が武周朝を立て、唐を一時的に滅ぼしたからである。
唐にとっては逆賊であり、女帝への拒否感が醸成されるのは当然である。以後、王朝を転覆されては堪らないと、女帝の登場はなくなった。
日本ではどうか。則天武后後の男尊女卑で女性天皇は否定されたというが、称徳天皇(考兼天皇の重祚)は則天武后より後の女性天皇である。時代関係が逆になっているのに気づかないのだろうか。
称徳天皇後、江戸時代まで女性天皇は登場しないが、別に男尊女卑だったわけではない。女性天皇は皇統を断絶させかねないと恐れたからだ。
称徳天皇は道鏡の天皇就任への野心を了解していたといわれている。和気清麻呂は「日嗣は帝の氏を継ぐ人間がなるべし」との神託を受け、そのまま上奏する勇気ある行動で道鏡の野心を阻止した。そして、清麻呂は穢麻呂と名前を変えられて左遷された。
称徳天皇時代に皇統断絶の危機があったのだから、以後、女性天皇が忌避されたのは当然である。男尊女卑でもなんでもない。
述べてきたように、女系容認派の主張はあまりにも無理筋ばかりで、何らかの意図があって女系・女性天皇を誕生させようとしているとしか考えられない。
さらに愛子天皇待望論を打ち出すことで、天皇家と秋篠宮家を反目させ、皇室に内紛を起こそうと画策しているのではないかと思わざるを得ない。
同様に国民の意識を分断させ、社会を混乱させようと狙っているのではないか。
共産党、共同通信、野田元総理、女系女性天皇賛成の各種週刊誌、いずれも男女同権という薄っぺらな人権論を振りかさし、日本の国体・国柄を破壊しようと狙っている。
行き着くところは、男系否定、すなわち天皇否定そのものである。天皇が天皇でなくなったら、日本という物理的な国家はあっても、2700年という長い伝統と歴史は断絶する。
意図的に男系断絶を狙う勢力はともかく、女系派は都合のいい材料しか目に入らず、自論を否定する資料は頭に入らないようだ。自説に叶う資料だけをつまみ食いして論理構成し、反するものには見向きもしない。
学問はさまざまな資料を俯瞰し、学説を構成していくものである。つまみ食いに徹するとなると、まるでカルトである。教祖の教え以外を否定し、批判する人間には攻撃的に対する。
女系派のいい分、行動などは、これまで見てきたことで明らかである。これからは、女系派は女系カルトと呼ぶことにしよう。
天皇は日本の祭祀王、大神主である。常に国民の安全と繁栄を祈っている。
それが単なる国王となったら伝統も歴史もなくなり、神々と民草がともに幸きはう日本ではなくなってしまう。
女系天皇論は一部の学者の特異な意見、女系カルトの歪んだ主張だから、後顧の憂いがないよう葬りさるべきである。(了)