永遠なる魂 第二章 ベルリン 1
1 浅井は明治四十一年三月、満州の大連で生まれた。父親は日露戦争で荒廃した満州を再建し、平和に治めるには、武器より教育が必要だと考え、中国人子弟の教育のため公学堂と呼ぶ学校を大連に創設した。公学堂を創るに当たって日本政府と激しいやり取りがあったようだが、父親は愚痴をこぼさず、中国人子弟の教育に黙々と取り組み、献身的に努力した。...
View Article永遠なる魂 第二章 ベルリン 3
3 どれだけ気を失っていただろうか。気がつくと見知らぬベッドに横たわっていた。起き上がろうとして右の太股に激痛が走り、助けを求めるように周りに目を走らせた浅井に、白衣の看護婦が駆け寄ってきた。「動いてはいけません。すぐ先生が来ます」 浅井はうなずいたが、何がどうなっているのかさっぱりわからず、怪我をして病院へ運ばれたらしいことだけは理解できた。...
View Article永遠なる魂 第三章 石炭 1
1 ドアがガチャリと開き、将校と兵士が入ってきて銃を突きつけ、浅井に目隠しした。 殺される!「俺は外交官だぞ!」 恐怖が沸騰し、浅井は将校に向かってドイツ語で叫んだ。「外交官を死刑にしたら、おまえらは重大な処分を受けるぞ」...
View Article永遠なる魂 第三章 石炭 2
2 浅井が学生に訴えた十日後、ついにその日がやってきた。日本はポツダム宣言を受諾し、正午から天皇の玉音放送が行われた。「忍びがたきを忍び、耐えがたきを耐え 」 ラジオから流れる玉音放送を聞いても、浅井は格別な感慨は浮かんでこなかった。日本の敗戦は避けられなかったのである。...
View Article永遠なる魂 第三章 石炭 3
3 家族の安否を心配する必要がなくなれば研究にも身が一段と入る。その中で、浅井が最も注目したのが、ゲルマニウムである。研究所開設当時に、ある所員が石炭の中にゲルマニウムという希元素があると話していたことがあり、ずっと頭に残っていた。...
View Article永遠なる魂 第四章 奇跡の水 1
1 浅井が最も研究に力を注いだゲルマニウムは、発見の歴史から神秘に包まれている。一八六九年、ソ連の科学者メンデレーエフは六十二種類の元素を調べ、元素の周期律表を発表した。メンデレーエフは周期律表の三十二番目を空白にし、将来発見されるべき元素、「エカ・ケイ素」と名付けた。...
View Article永遠なる魂 第4章 奇跡の水 2
2 管の好意で研究所を得た所員の意気は上がり、水に溶ける有機ゲルマニウムの合成は成功していなかったが、石炭に関する研究は順調に進んだ。そのおかげで、浅井は昭和三十四年秋に発明および新技術開発で社会に貢献した功績を認められ、政府から紫綬褒章を授与され、三十七年三月には京都大学工学部から工学博士の学位を与えられた。...
View Article永遠なる魂 第五章 余命二年 1
1 ある日、船田という大手企業に勤める四十二歳の男性が、知人の紹介状を持って浅井を訪ねてきた。暗い顔色の船田は目が真っ赤に充血し、聞き取りにくい小さな声で、ため息をつくように説明した。九歳になる長女が、大学付属病院で骨髄性白血病と診断され、ベッドがあくのを待っているというのである。...
View Article永遠なる魂 第五章 余命2年 2
2 浅井がさまざまな難病患者と接触している一方で、ゲルマニウム臨床研究会に参加する医師たちから、多数の臨床例が報告されていた。積極的にGE-一三二を治療に用いる医師たちは、あまりにも顕著な効き目に呆然とし、かつ深い感銘を受けたようである。...
View Article永遠なる魂 第六章 あすに向かって 1
1 あすはいよいよ念願の日。目が冴えてなかなか眠られない。奇しくも、GE-一三二が完成して十年目である。 外は強い風が吹き、激しく雨が降っている。天気が少しでも回復してくれればいいがと祈るような気持ちだ。...
View Article永遠なる魂 第六章 あすに向かって 2
2 悪いことばかりではなかった。新築の研究所は快適で、浅井を筆頭に柿本ら所員はGE-一三二を薬事法で認めさせるべく、ゲルマニウム研究会と並行して研究を進めていた。そして昭和五十六年に驚くべき事実がもたらされたのである。「素晴らしい結果が出ました。新しい発見です」...
View Article永遠なる魂 第六章 あすに向かって 4
4 浅井は昭和五十七年初頭、GE-一三二の新薬承認を厚生省に申請した。あとは薬事審議会の審議を待つばかりである。「やっとここまでこぎつけられたな」 認可申請の書類が受理された当日の夜。浅井は自宅へ柿本を招き、エリカの料理でねぎらった。寒い日で、リビングには石油ストーブがたかれていたが、浅井は寒くてならなかった。...
View Article著者あとがきと参考文献
著者後書き 一九九七年四月九日、厚生省は浅井ゲルマニウム研究所が薬事法に違反していると警視庁に告発した。行政指導も何もなく、いきなりの告発で、異例中の異例だった。 告発を受けた警視庁薬物対策課は翌日、浅井ゲルマニウム研究所など全国の関連施設を家宅捜索した。...
View Article中韓ODAの闇 1
「打ち出の小槌にされた日本」 戦争に負けるということは悲劇である。戦った世代だけでなく、後世にも戦争賠償などで重い負担となる。戦争はよほどのことがない限りやるべきないが、やるからには負けてはならない。 わが国は大東亜戦争で負け、GHQ(連合国軍総司令部)に国土を占領され、さらには戦犯を一方的に裁く違法な東京裁判を押し付けられ、さまざまな分野で自虐史観を植え付けられた。...
View Article中韓ODAの闇 2
「膨大な中共へのODA」 中共が濡れ手に粟で手にした日本の在中資産は2386億円強、現在価格40兆円もの巨額なものだった。このうち、満州があった東北地方には1465億円もの在満資産があり、満州国を独立国家として育てようと、日本がいかに多額の投資をしたかがうかがわれる。 欧米の植民地のように搾取するのではなく、資本投下で満州国の発展を支援したのは明らかである。...
View Article中韓ODAの闇 3(了)
「優遇しすぎの対中ODA」 外務省によって公表されている2015年度までの対中ODAは円借款3兆3164億8600万円、無償資金協力1575億700万円、技術協力1839憶6万円の巨額になっている。 反中感情の強い人は無償資金協力がケシカランなどと批判するが、全体からみれば大した金額ではない。一番の問題は3兆円を超える円借款である。...
View Article象徴天皇研究者かつ女系天皇容認派との遣り取り①
去る6月9日(日)に母校(愛知県立名古屋西高校)の東京同窓会が開かれ、講師にN大学K准教授(母校卒業生)が招かれ、約1時間の講演が行われた。 K准教授は象徴天皇の研究者で女系天皇容認派である。 そこで同窓会の前に、当日、質問をしたいと幹事にメールで了解を求めたら、質問がK准教授に転送され、回答が送られてきた。...
View ArticleK准教授との遣り取り② 象徴について
講演は天皇の象徴という問題に絞って行われた。戦後の昭和天皇、平成時代、令和と天皇は意識して象徴務めていると言うのである。 この象徴という言葉だが、準教授は行幸啓を通じて象徴となっていったとしていた。 戦後の焼け野原、平成の天災などに行幸啓することで、国民が天皇に感謝し、親しみを覚え、象徴という存在になった。それは天皇や皇太子(当時の上皇)の国民の人気から察せられるという。...
View Article女系天皇容認派との遣り取り③の1
遣り取り③は准教授の回答に対する私の再質問が長くなるので、二度に分けて掲載する。今回の准教授の回答以外にも、世の女系派とされる人の主張を最後の部分に加える。3 先生は、皇位の安定的継承には女系もやむなしの立場のようですが、男系が断絶すれば天皇は天皇でなくなり、日本の歴史そのものが否定されてしまうのではないですか。 准教授...
View Article女系天皇容認への質問と主張③の2
准教授の回答に対する再質問と私の主張である。女系容認派の言い分は准教授の回答以外にもあり、次回最終回はそれらへの反論と、女系派の主張への感想を述べる。3「女系について」...
View Articleまやかしの女系天皇論②
〇女性天皇の子は女系? 女系葉は女系女性天皇が存在したと主張する。 奈良時代の第43代元明天皇は、長女の元正天皇に譲位した。元正天皇の父親・草壁皇子は天皇ではなかったから父系ではなく、女系だというのである。...
View Articleまやかしの女系天皇論③
〇皇室典範の規定は国柄の文字化 大日本帝国憲法の制定に伴って皇室典範も制定された。開国し諸外国と対等に外交をするには、法制の整備という近代化が必要だったためだ。 帝国憲法を創るにあたり、明治政府は先進各国に人を送って憲法の研究をさせ、行き着いたのは国の歴史・伝統に基づくという当たり前の結論たった。 国柄の違う他国の憲法を真似したところでうまく運営できるわけがない。日本国憲法を考えれば明確である。...
View Articleまやかしの女系天皇論④
〇世論調査で女性天皇の支持が8割? 共同通信の世論調査で、女性天皇を支持すると答えた割合が8割だったそうだ。この場合の女性天皇は愛子天皇を指しているのだろう。 他社の世論調査と結果がかけ離れているから、どういう質問をしたのかと不思議だ。調査結果を頭から信じるわけにはいかない。 というのは、共同通信は設立当時から問題がある通信社だったからだ。...
View Articleまやかしの女系天皇論⑤ 最終回
〇日中とも女帝が国を危うくした 男尊女卑というのに、則天武后が皇帝になれたのがまず不思議だ。則天武后は大陸王朝で唯一の女帝で、ほかにはいない。後になぜ女帝が現れなかったのか。 それは則天武后が武周朝を立て、唐を一時的に滅ぼしたからである。 唐にとっては逆賊であり、女帝への拒否感が醸成されるのは当然である。以後、王朝を転覆されては堪らないと、女帝の登場はなくなった。...
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