〇皇室典範の規定は国柄の文字化
大日本帝国憲法の制定に伴って皇室典範も制定された。開国し諸外国と対等に外交をするには、法制の整備という近代化が必要だったためだ。
帝国憲法を創るにあたり、明治政府は先進各国に人を送って憲法の研究をさせ、行き着いたのは国の歴史・伝統に基づくという当たり前の結論たった。
国柄の違う他国の憲法を真似したところでうまく運営できるわけがない。日本国憲法を考えれば明確である。
帝国憲法の草案を創ったのは井上毅。井上は各国の憲法を入念に調べたうえで、わが国の歴史や伝統を徹底的に研究し、帝国憲法の制定に漕ぎ着けた
伝統と歴史の研究の結果が「万世一系」だった。そして、当初の草案では統治ではなく「治らす」(しらす)だった。大和言葉を使ったところに苦労が見えるが、憲法条文に馴染まないというので、同じ意味合いの統治に書き直しという。
このように、国の伝統と歴史を踏まえたのが憲法典である。憲法とは国柄のことであり、文字にしたのが憲法典である。
皇室典範も同じで、国柄として続いてきた天皇と皇室の在り方を文字化したものだ。
つまり、皇室典範を制定するとき、無意識に続けてきた天皇は男系(男子)を原則とする事実を踏まえて典範が起草された。
だから、制定までに男系とか女系という言葉などあるはずがなく、文字化する段階で天皇は男系男子と規定された。過去の国柄を法典としたのである。
伝統と歴史に基づく法典創りという絶対姿勢を井上毅が貫くのは当然だった。
さて、典範制定に当たり、女性・女系天皇が議論されたことをもって、男系でなければならないという意識は、当時なかったというのが女系派の言い分である。
典範制定についてさまざまな案がだされるのは当然である。だからといって、女系を受け入れでいたことにはならない。議論がなされたからといって、女系容認という意識が定着していたわけもなく、典範の条文から外れるのは自然な流れだった。
当時、女系容認という考えが定着していたのなら、井上がいくら反対しようとも、皇室典範に明記されていたはずだ
いつの時代でも目新しいことを主張する学者諸氏がいる。それが学問だといえばそれまでだが、国家の根幹にかかわる問題で、強引に主張すべきではない。国家百年の大計を損なう。
以上、見てきたように、女系派の主張は支離滅裂、自説に都合のいいことだけを取り上げるご都合主義そのもので、真摯な学問的姿勢はとてもいえない。